パニック障害のナース(看護師)

看護師8年目。
パニック障害とうつになって7か月。
頑張ってそれでも生きる様子を綴ります。
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パニック障害のきっかけ③

その後地震はなんどかあったものの次第に起こらなくなり、私の恐怖も薄れていきました。訪問看護師としての仕事も楽しく、やりがいがあり軌道にのっている最中でした。
2016年7月 新たな命を授かりました。
しかし、私はそれまでに3回の流産経験があったため喜ぶどころではなく一人で悶々と仕事をしながら過ごす日々。そして希望もむなしく4度目の流産となってしまい身体的にも精神的にも落ち込んでいきました。手術することなく自然出てきたのも初めてのことでした。
流産した次の次の日、訪問看護の管理者に実は妊娠していたが流産してしまったことを告げました。身体的にきつく数日休ませてほしいと言い2日休みをもらいました。
身体的にはだんだんと良くなっているところでしたが、それとは裏腹に精神的にはどんどんと落ち込んでいきました。一番顕著だったのが、食欲低下、体重減少です。
無理をして仕事をしていたのですが2週間で5kg痩せ管理者の師長さんから精神科受診を勧められました。身体的にも立っているのがやっとで顔色も悪く元気にふるまっているのを患者さんに見破られてしまうほどでした。
私は休むのが嫌でした。休むともう戻ってこれないような気がして。怖くて。
師長さんに「今一番どうしてほしい?」と聞かれ、「しばらく休んでください、と言われるのが一番嫌です」と答えました。
師長さんは心配しながらもできるだけ私の意向に沿ってあげたいと思っていたようで、そんな状態でもできるだけ訪問に行かせてくれていました。
そんなある日、突然それは起こりました。
訪問がなく事務所で事務作業を行っていた際、突然動悸が起こり苦しくなりました。
師長さんと二人きりだったのですぐに「師長さん、、、苦しい」と声を振り絞って言いました。どんどん息苦しくなり手足顔唇が痺れて動かなくなり声を出すこともできなくなりました。師長さんが「救急車呼ぶよ?!」と声掛けてくれるもうんともすんとも答えられません。結局救急車に乗り同法人内の病院へ運ばれました。
採血や点滴をするのも気づかずずっと死の恐怖と闘っていました。その間師長さんはずっと手を握ったり声をかけたりしてくれていましたが答えることもできないくらい苦しさでいっぱいでした。
しばらくすると過換気発作であることがわかりホリゾンを1A静脈注射され症状は治まりました。
そんなことがあっても休みたくない私は次の日も次の日も普通に出勤しました。