パニック障害のナース(看護師)

看護師8年目。
パニック障害とうつになって7か月。
頑張ってそれでも生きる様子を綴ります。
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いよいよ仕事復帰

9月末にはほぼ精神的な症状は落ち着き体力がないことに悩んでいました。
法人の看護部長や人事の方とも夫とともに何度も面接し、10月だけ半日勤務で外来看護師を勤めるように言われ11月からの復帰を楽しみに10月外来で勤務することとなりました。外来の看護師は初めての経験でずっと立っているため半日でもとても疲れました。
主に採血や点滴、急病で運ばれてきたERに運ぶほどではない人の看護にあたりました。
皆優しく外来看護を教えてくれ、1か月半日勤務を休むことなく勤務することができました。


さて10月も27日あと数日で訪問看護に戻れると期待していたところ、看護部長からの呼び出し。「もう少し外来にいてほしい。」「院長がもう少し外来で頑張ってからの方がいいっていってるから。」師長さんも看護部長に賛成との意向でした。
嫌とは言えない雰囲気のなか承諾するしかありませんでした。


11月からは外来で常勤看護師になります。11月も受診はしていましたが、レクサプロに頓用でデパスというくらいで良くなっていたのですが、たびたび仕事中に過呼吸になることがあり迷惑ばかりかけてしまいました。
訪問看護に戻れる、その思いが強すぎたため外来看護師になってしまったことでみんなに裏切られている気がしてまた苦しい日が続きます。
11月末の受診ではまた仕事を休むように主治医に言われましたが主治医の診断を無視して12月も常勤で出勤していました。
そのころには死にたい気持ちや自分を傷めつけたい気持ちが強く、気づけば左上腕を剃刀で切り付け俗に言うアームカットをしてから仕事に行き、昼休みになればトイレでアームカットをし気持ち的に不安定な日々が続いておりトイレで過呼吸になったりスーパーで過呼吸になったり夫なしでは生きていけない状態でした。それでも白衣をきて現場に出れば誰が見てもそんな人には見えない看護師を演じることができていたので不思議です。
きちんと責任をもって看護にあたっていました。
12月の上旬耐えきれなくなった私は主治医から出されていた診断書を提出し休職することにしました。しかし家事や育児がプレッシャーになり家でも休めない気持になり気分不良やめまい、息切れ、動悸、過呼吸に悩まされます。
そのころにはSSRIも「使いたくなかったけど仕方ないな。。。」との先生の言葉でレクサプロをやめてパキシルCRを飲むようになっていました。